残穢(原作既読)

2016.3.10 19:00

AC スクリーン5

 

企業説明会を受けた帰りにコーヒーを飲みながら『残穢』の情報を見ていた。

就活をしていると頭が冴えてしまうというか、無理やり引っ張り上げたテンションの下ろしどころがないような気持ちになる。行動力メーターがありあまってるというか。

一番最後の上映が、今出れば十分間に合う時間だったのである。

 

映画は上映前から気になっていて、原作を文庫で購入して読了していた。

「手元に置いておくのもおぞましい」という前評判がとても好きだった。

幽霊も狂人も出て来ない。民俗学的な、遅効性の毒みたいな話。

これは日本人でないと分からない感覚かもと感じながら読んでいた。

映画を見るお金がなかったから原作を読んだのに、結局映画を見たくなってしまった。

 

で、映画。

お客はわたしの他に5人くらい。

 

本はじわじわ効いてくる感じ、

寝る前にちょっと思い出して布団を深くかぶりたくなる感じだったけど、

映画のほうは程よくビックリ系。

 

さらっとした乾燥した色味の映像。セピアっぽい。

俳優さんたちの演技もあまり感情の起伏を出さないようにしてるのか、

とても淡々としてた。

竹内さんの「私」や、キツネみたいな佐々木さんの平山夢明役、

綾辻行人役の滝藤さんなど、好きな俳優さんばかり(映画では違う名前になっている)。

とにかく淡々とした普通の日常や調査のシーンと、恐怖映像ドーンが交互に来る。

花嫁の母親はいいけど炭鉱夫のCGはどうなんだろうと思った。

気持ち悪いけど。

 

時々差し挟まれる綺麗な遠景ショット、

「私」夫妻が土地を買うシーンとか。

綺麗だし、「土地」という物語中でも重要なものを映している、が

脈絡がないように思えたりした。

「私」夫妻の建てた家は素敵だったな。

 

気がふれた母親は精神病なのだと思う。

「あなたもやつらの仲間なの」という台詞とか。

元々精神を患っていたところに穢れも加わって相乗効果という感じなのかな。

 

結末は

原作ではふわっと集合して、またふわっと離散していく。

それぞれの生活と、蓄積された土地の記憶に触れる時間、

二つの時間の流れを往復するような動き方があった。

映画のほうでは最後に編集者が穢れに触れてしまって……続く。

続くのかー。

時代をどんどん遡っていって、そして現代に振り戻されるという形。

仏壇や神棚まみれのぼろぼろの古民家に出てた炭鉱夫が

現代的な編集事務所にも同じように登場するというのは異様だった。

 

幽霊をあまり信じていない。

それらは人や土地家屋や環境にこびりついた記憶みたいなものだと思う。

ラジオみたいに人それぞれチャンネルが合って、

そういう野良記憶にチャンネルを合わせやすい人が霊感の強い人ってことになる。

と思う。

呪い(まじない)に関しては、人の思いというのも脳が出す物質?電流?だから、

それなりの強度がある思いなら、体を飛び出しても不思議ではないように思う。

オーラのようなものも、それらの記憶や思いが体から染み出してるんだろうなって考えている。

 

そういう色んな膨大すぎる情報が、

人間とか動物とか生物まみれの地球には染みついていて

地層のように重なり合ってその上にわたしが立っているんだろうなと、

そして生活している中で

心が弱ったり、環境を変えたり、そうでなくて本当に偶然マッチングしてしまったりすることで

地層の下に眠っていた記憶を引き当てて共鳴してしまうことってあるんだろうなと

そのように思いました。